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2020/10/27

27 Oct 2020

「のだけど」で止まっている文や、体言止めを見かけると違和感を覚える。なぜだろうと考えてみる。

書き言葉は文であるべきと教わった。正しいと思う。自分が日常的に接する言葉は文か?違う。自分が読む文字のほとんどはSNSに投稿されたものだ。

刺激を受けて感情が起きる。それを脳が言葉に置き換える。出てくるのは刹那的な言葉の羅列だ。文にはならない。

こう考えると自分の期待がずれていることに気づく。文の体を成していない、と憤るのは筋違いだ。SNSの投稿は感情の発露で、その目的は共有だ。文として成立しているかどうかはどうでもいい。

この期待値のずれが違和感を生んでいた。